願いがいつか叶うまで

ひとりじゃない

『ダービースタリオン』『実況パワフルプロ野球』『スーパーロボット大戦』の影響について 第2話

 

実況パワフルプロ野球99開幕版

実況パワフルプロ野球99開幕版

 

 「ぼくがスーパーファミコンのあとに買ってもらったハードはプレイステーションでした。初めて買ったソフトが、たしか『実況パワフルプロ野球』の『98開幕版』でした。翌年の『99開幕版』はよく遊んだゲームソフトのひとつです。98年のドラフトで松坂大輔が指名され、西武ライオンズに入団し、当時はイチローがまだオリックス・ブルーウェーブにいましたので、ふたりの対決が『平成の名勝負』としてマスコミで盛んに煽り立てられておりました。

 

 最近、読売ジャイアンツの13連敗が非常に話題になっておりましたが、99年は上原浩治が入団した年です。松井秀喜はもちろん4番バッターでした。そういえば、いまの巨人の監督が入団したのがひとつまえの98年でしたっけ・・・・・・。

 

佐々木:フォーク7

 松坂も上原もルーキーイヤーでしたが、『パワプロ99開幕版』での能力値は非常に高かったと記憶しております。

 前年にセ・リーグ横浜ベイスターズが権藤監督のもとで38年ぶりに優勝、日本一を達成しました。ロバート・ローズを中心とした強打線は『マシンガン打線』と呼ばれ、それを反映してか、ロバート・ローズはもちろんのこと、鈴木尚典ほか横浜の選手の打撃能力は『99開幕版』において非常に高くなっておりました。一番:石井琢、二番:波留、三番:鈴木尚、四番:ローズ、五番:駒田、六番:佐伯(または中根)、七番:谷繁、八番:進藤・・・・・・こんな布陣だったようです。

 しかしながら、ご存知の通り、横浜優勝の最大の原動力は、『ハマの大魔神佐々木主浩投手でした。いまはどういったパラメータ表示になっているか知りませんが、当時の『パワプロ』における投手のパラメータ表示では、変化球の能力を七段階で表示しておりました。フォークボールは、アナログスティックを下方向に傾けて投げるボールだったので、佐々木のフォークボールの目盛りは真下に向かって伸びていたわけですが、さっき言ったとおり変化球の能力値は七段階でして、当然佐々木のフォークボールは最大の『7』でありました。

 谷繁が横浜にいるのが時代を感じさせるのですが、駒田徳広がまだ現役だったのですね。『満塁男』というステータスがついておりました。ぼくは当時、駒田がかつて読売ジャイアンツに所属していたことを知りませんでした。しかしながら、少なからず小学生の頃は野球に興味を持っておりましたので、野球クラブには入りませんでしたけれども、宇佐美徹也監修の文庫サイズの分厚い選手名鑑を持っておりまして、それでそれぞれのチームがどんな系譜をたどっているか(たとえば、横浜ベイスターズ大洋ホエールズだったとかね)などの知識を蓄えておりました。東京ドームに『野球殿堂博物館』という施設がありますが、そこの図書室で、宇佐美徹也監修の例の文庫を見つけて、非常に懐かしかった。

 

三原・水原

 ぼくは、何事においても、それについての『歴史』というものに異常に執着があったようで、自分でインターネットを使えるようになったら、プロ野球の過去の選手・球団の歴史・各年の選手記録を片っ端から調べまくりました。

 ぼくの祖父はもう亡くなってしまいましたが、晩年に祖父と野球の話になって、ぼくが『三原(脩)』や『水原(茂)』の話を出しますと、非常に驚いておりました。もちろん三原・水原時代の話など、ウィキペディアで知った急ごしらえの知識なのですけれども、ぼくがそういうことに詳しかったことは、祖父にとっては嬉しかったようです。

 

 おっと、話が大きく脱線してしまいましたね、パワプロの話でした。『99開幕版』の話題に戻りまして、現実のプロ野球の話題も絡めて、どんなゲーム内容だったかを思い出してみようと思います」