願いがいつか叶うまで

ひとりじゃない

「電撃文庫ムービーフェスティバル」

 2007年春。
 シネマサンシャイン池袋
 そこに僕はいた。

 

電撃文庫ムービーフェスティバル」
 それを観るために、階段にオタクが列をなしていた。どこまでも続くオタクのスパイラル階段………その中に僕もいた。
電撃文庫ムービーフェスティバル」とは、何だったのか。あなたは「東映まんがまつり(東映アニメフェア)」を知っているだろうか。知っているなら話が早い。「電撃文庫ムービーフェスティバル」は電撃文庫版「東映まんがまつり(東映アニメフェア)」と言ってよかった。だが「東映まんがまつり(東映アニメフェア)」とは何ぞや、という人にも説明しよう。要するに、アニメ映画を何本かで抱き合わせ上映する企画である。すなわち「電撃文庫ムービーフェスティバル」の上映ラインナップは、

・『灼眼のシャナ
・『キノの旅
・『いぬかみっ!

の三本立てであった。
 このうち、『灼眼のシャナ』はテレビ版のストーリーを再構成した映画。『キノの旅』と『いぬかみっ!』は完全新作……だったはずだ。

 

 2007年春。
 僕は、「おのぼりさん」だった。
 東京の大学に通うため、山陰のド田舎からはるばるやって来た。どうしようもなく田舎者だった。何も知らなかった。東京に「最適の場所」があるとただ信じて、自分を投げ込んだ。
 上京したら、アニメを観るものだと思っていた。地元の高校では、自分の中のオタクという性質をひた隠しにしていた。オタクであることがばれたら、村八分にされるような空気があった。僕は文学青年を演じていた。けれども某大学の文学部にいざ入ると、文学に対する無知が次々と白日のもとにさらされていった。僕は文学青年を「演じていた」のであって、ほんとうの文学青年ではないことを知った。
 2007年春。
 下宿に録画機はなかった。
 だから、携帯のワンセグで深夜アニメを録画して、出先で観ていた。
 ところが、大学が始まって程なくして、流行性感冒により思わぬ休校期間が発生した。生活リズムが崩れた。夜更かしをするようになった。『sola』というアニメと『ひとひら』というアニメがお気に入りで、毎週深夜観ていた。
 そのころは、アニメオタクとしての義務感があった。『月刊ニュータイプ』と『アニメージュ』を、まだ毎月丹念に読んでいた。「電撃文庫ムービーフェスティバル」の情報も、アニメ雑誌で知ったのだと思う。アニメ映画の公開に際しては、劇場に足を運ばなければならないという義務感があった。
 というわけで、上京して僕が初めて観た映画は「電撃文庫ムービーフェスティバル」だった。

 

 それでは、「電撃文庫ムービーフェスティバル」で、一体何が起きていたのだろうか。当時のシネマサンシャインの「空気」を、思い起こしてみる。
 まず、シャナと悠二の出会いを描いた『灼眼のシャナ』が、無難に上映された。
 次に、「病気の国」という副題のついた『キノの旅』も、無難に上映された。
キノの旅』が終了した時点で、僕はトイレに立った。
いぬかみっ! みたいなクソアニメはスルーだ」
 みたいなオタクの声が耳に入ってきた。
 しかし……、劇場が最高に沸いたのは、その『いぬかみっ!』だった。そのインパクトは、前に上映された二作を完全に食ってしまった。
 劇場版『いぬかみっ!』とは何だったのか。
 僕はそれまで、原作・アニメ含め、『いぬかみっ!』という作品について何も知らなかった。
いぬかみっ! THE MOVIE 特命霊的捜査官・仮名史郎っ!』というのが、この映画の正式タイトルである。
 正直に告白すると、10年以上前の映画であり、筋をほとんど覚えていない。僕が断片的に覚えているのは、

 

①TV版の表現規制が大幅に緩和された(らしい)こと
②仮名史郎役の速水奨が何役も演じていたこと(EDクレジットで拍手が沸いた)
高町なのは涼宮ハルヒのコスプレをしたおっさんが出てきたこと
④途中から観客がみんな笑い通しだったこと
 

 特に③は強烈に覚えている。この映画の監督である草川啓造が、『魔法少女リリカルなのは』の二期と三期の監督であることを、僕は知らなかった。そういう情報を仕入れていたら、高町なのはのコスプレをしたおっさんが出てくるのも合点がいく。だが、あまつさえ涼宮ハルヒのコスプレをしたおっさんも出てくるのだ。僕たちは笑った。涙が出るほど笑った。