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願いがいつか叶うまで

ひとりじゃない

ミスターシービー(その2)

 皆さんは、競馬場の『ターフビジョン』が、いつ設置されたか、ご存知でしょうか?

 

 1984年の秋、東京競馬場に、日本初の大型競馬中継ビジョンが設置されました。これが『ターフビジョン』の端緒です。

(現在は、もっと大きなものになっています)

 

 1984年の秋、古馬になったミスターシービーが、『毎日王冠』で復帰します。そこに待ち構えていたのが、同期のカツラギエースでした。

 カツラギエース。この年、日本調教馬として初めてジャパンカップを制することになろうとは、この『毎日王冠』の時点では、競馬ファンは夢にも思わなかったはずです。

 カツラギエースは、10番人気でジャパンカップを逃げ切ってしまったのです。

 それはともかくとして『毎日王冠』に話を戻しましょう。

 

 80年代の『毎日王冠』といえば、とかく89年のオグリキャップVSイナリワンーーと思われがちですが、個人的には、84年、つまりミスターシービーカツラギエースの死闘のほうが熱気を感じました。

 上でいったとおり、1984年秋に、東京競馬場に『ターフビジョン』ができます。

 そしてまもなく、『ターフビジョン』設置後初の重賞『毎日王冠』が挙行されました。

 

『ターフビジョン』がなかったころ、お客さんはどうやってレースを観ていたのでしょうか?

 今でも、東京競馬場に、「双眼鏡レンタル」のコーナーがあるはずです(当然有償)。競馬歴ウン十年という方は、双眼鏡で馬群を追っていたのだと思います。

 ところが、1984年秋『ターフビジョン』ができましたので、特に下の方にいる観客には、レースが見やすくなりました。

 その証拠に、ミスターシービーVSカツラギエースの『毎日王冠』で、追い込むミスターシービーの姿が『ターフビジョン』に映されると、観客はどっと沸いたそうです。

 たしか、このレースの実況を担当した元ラジオNIKKEIアナウンサーの白川次郎さんが、そう証言していたと思います。

 

ミスターシービーカツラギエース

 2頭の因縁は、83年の皐月賞にまで遡ります。

 当時カツラギエースは、春のクラシック二冠では、ミスターシービーの脇役にすぎませんでした。

 

 ところが夏を越して力をつけたカツラギエースは、京都新聞杯ミスターシービーに圧勝してしまうのです。

 クラシック三冠に向けて、復帰初戦のミスターシービーは、京都新聞杯では4着、複勝圏内からも外れてしまいました。

 にわかにミスターシービーの三冠に、暗雲が立ち込めました。

 トウショウボーイ産駒。菊花賞で完敗したトウショウボーイの仔に、京都の3000メートルが”もつ”のか? そんな血統面の不安も当然あったんだと思います。

 

 それでもミスターシービー菊花賞で1番人気。前哨戦圧勝のカツラギエースは2番人気。

 この菊花賞で、競馬ファンは信じられない光景を眼にすることになります。

 それは・・・・・・!

 

つづく