願いがいつか叶うまで

ひとりじゃない

1985年のフジテレビとフジテレビ系アニメ(序)

 4年連続視聴率三冠王の年。

1985年に始まったフジテレビ系番組(抜粋)

 

 僕が生まれる3年前のことを書いている。

 なぜか、僕が直接体験しなかったことに惹かれる。

 生まれる前のアニメ、生まれる前の漫画……。

 僕は昭和63年生まれなので、生まれる前のアニメ、生まれる前の漫画は、「昭和の作品」である。

 昭和の作品だからといって、必ずしも古臭いとかそういうわけではない。

 他方、「80年代以前のアニメは今よりチャレンジ精神があって、今観ても新鮮だ。今のアニメは劣化している」という意見も、保守的に過ぎるのではないかと思う。

 たしかに、当時のアニメに思わぬ「新しさ」を発見して驚くことが多々あるのは、認める。

 しかしながら、過去の名作を持ち上げて「最近のアニメはダメだ」という意見にはついつい警戒してしまうのである。だいたい、「最近」とはいつなのだろうか? 21世紀に入ってからか? 2010年以降か? それとも『新世紀エヴァンゲリオン』が終わったあと(TV版最終話は1996年3月)のことを言っているのだろうか?

 たしかに、2017年現在放映中のアニメに、80年代以前のアニメ--例えば、1985年開始のテレビアニメならば、『タッチ』や『機動戦士Ζガンダム』だろうか--と比べ、劣っている点、というよりも、「欠落している」点があるのは、認める。

 しかし、2017年現在放映中のアニメにも、美点が備わっていないわけではないと思うのだ。『政宗くんのリベンジ』『ガヴリールドロップアウト』『セイレン』『うらら迷路帖』こういったアニメを「萌えアニメ」として断定するのは許す(そんなに簡単な問題では実はないのだが……)として、萌えアニメだから「断罪」するといった考えは、果たして許されるのだろうか?

 

 まぁ、こういった論争は、往々にして不毛なのだが。

 ひとこと付け加えるならば、『けものフレンズ』のような表現方法は、昭和のアニメにはなかったよ、ということである。

 

 どうやら、僕は、「論考」や「評論」や「批評」や「意見」や「提言」や「感想」etc……を書くのが、著しく苦手なようだ。

 それならば、僕に残された道は……「事実を述べること」しかないような気がする。

「当為」という言葉がある。ドイツ語のsollenの訳語で、sollen自体は、「~しなければならない」という意味である。

 僕は、「当為」的な文章、言い換えるならば、「~であるべき」「~すべき」という意味が込められた文章は書きようがないんではないか、と思う。

 つまり、「~である」「~だった」「~している」「~した」「~していた」、こういう形の文章しか、僕は書けないような気がするんである。

 そういった文章は往々にして、事実を淡々と並べた文章、過去の体験を自分語りする文章になりがちである。「事実」「体験」が、100%確実性があるものであるかは実にあやしい。

 しかしながら、「~であるべき」「~すべき」という文章は、往々にして、「ひと言多い」文章になりがちというのも「事実」であると僕は思う。

 ただの「憶測」ではあるが。

 

 話が脱線しすぎてしまった。

 1985年のフジテレビとフジテレビ系アニメの話であった。

 はたして、どういった「事実」を、僕は「取捨選択」していけばいいのだろうか。ひたすらその作業になる。