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願いがいつか叶うまで

ひとりじゃない

競馬の殿堂(その1)

 東京ドームに隣接している野球殿堂博物館に行かれた方はいるでしょうか? 僕は通算で10回くらい行ったかな。地下に降りていくと、野球殿堂入りした人間のレリーフが両側の壁に飾られているフロアがあります。レリーフの下部には、日本語と英語で紹介文が書かれています。例えば長嶋茂雄さんならば、「日本プロ野球史上最高の三塁手~」(うろ覚え)という書き出しで日本語文は書かれていますが、英文のほうにちゃっかり「National Hero」と記されているのは、あんまりもあんまりではないかと思う面もありますけれども、やはり長嶋さんのレリーフの場所に行くと、つい気分が高揚してしまいます。

 話が脱線してしまいました。JRA東京競馬場の中には、「競馬博物館」という施設があります。「競馬博物館」の一角に、競走馬のブロンズ像が飾られているコーナーがあります。そこが「競馬の殿堂」です。競馬の殿堂は、野球殿堂の競馬バージョンとたとえるのがわかりやすい気がします。だからあえて野球殿堂博物館の話を冒頭で出したわけです。

 

 本題は「顕彰馬」です。「顕彰馬」とはなんぞや? と思われた方もいるかもしれません。大丈夫です、僕も競馬にのめり込み始めた中学時代は、「顕彰」という漢字が難しすぎて、その「顕彰」という言葉の意味もわかっていませんでした。

 実は、今も僕は、「顕彰馬」の「顕彰」という単語の辞書的な意味がうまく説明できません。殿堂入りした馬のことを「顕彰馬」と呼んでいるんですが、競馬ファンとして慣習的に「顕彰馬」という概念を把握しているにすぎない、つまり、「顕彰馬」とは競馬サークル内だけで通じる暗号のようなもの……云々。

 回りくどい説明はいいでしょう。「顕彰馬」=「殿堂入りした馬」という認識でいいと思うんですよ。ちなみに地方競馬でずっと走っていた馬は顕彰馬の中にはおりません。地方競馬地方競馬で独自の表彰があるのですが、詳細は割愛します。

 顕彰馬の資格を剥奪された馬はいままでおりません。つまり殿堂入りすると永久に顕彰馬でいることができます。顕彰馬の大半はもうこの世にいません。顕彰馬は競馬ファンそれぞれの心の中にいるのです。そして、競馬ファンは未来の世代に名馬のことを語り継いでいく「使命」があるのです。

 ゴタクはいいから顕彰馬を教えろって? はい、一回リストアップしてみましょう。

 

顕彰馬(現在、計32頭)

 クモハタセントライト、クリフジ、トキツカゼトサミドリトキノミノルメイヂヒカリハクチカラセイユウ、コダマ、シンザンスピードシンボリタケシバオーグランドマーチスハイセイコートウショウボーイテンポイントマルゼンスキーミスターシービーシンボリルドルフメジロラモーヌオグリキャップメジロマックイーントウカイテイオーナリタブライアンタイキシャトルエルコンドルパサーテイエムオペラオーディープインパクトウオッカオルフェーヴルジェンティルドンナ

 

 

 実は、これは選ばれた順ではありません。昭和の馬だけど平成になって選ばれた馬もいます。選考された時系列順にグループ分けをしてみましょう。

1984年選考グループ

 いわば競馬における「オリジナル10」です。ですが、クモハタトキツカゼトサミドリがどんな馬だったかなんて、僕説明できません。時代があまりにも古すぎます。ですけれども、それ以外の7頭については説明できます。それくらい偉大な存在なのです。

セントライト

 日本競馬初の三冠馬です。もっとも、この馬の現役時代は三冠馬なんて言葉はありませんでした。この馬が皐月賞日本ダービー菊花賞を全部勝ったのは1941年、つまり真珠湾攻撃の年でありました。まだ日本中央競馬会が発足していなかったころの馬です。 

 ところで、JRAの公式サイトでは、セントライトの「主な勝鞍」を「皐月賞、ダービー、菊花賞」としていますが、これはどうなのでしょうか。手抜きじゃありませんか? なぜなら、東京優駿日本ダービーのことを単に「ダービー」って書いてありますし、皐月賞菊花賞は当時レース名が別の名前だったのに、迂闊にも「皐月賞」「菊花賞」と今の呼び名”だけ”を記してあるからです。

 愚痴はこれだけにしましょう。プロ野球で言えば中島治康みたいな存在の馬です。非常にわかりにくいたとえで申し訳ありません。

 今は「日本競馬初の三冠馬」という事項だけを覚えているだけでOKです。

 

クリフジ

 牝馬(メス馬)にして、日本ダービーと現在の菊花賞を勝った馬です。京都で開催された優駿牝馬オークス)も勝っているので、変則三冠馬といわれることもあります。「あれ、オークスって東京競馬じゃないんですか?」いい質問ですね。当時は競走体系が今と著しく異なっていたのです。この馬はセントライトの2歳下で、戦時中に走っていた馬です。競走体系が違うのも致し方ありません。

 僕の亡くなったおじいちゃんの世代が現役時代を知っているか? レベルの時代の馬なので、どのくらい強かったのかわかりませんが、「とにかく激強だった」という証言がたくさん残っています。たぶん、セントライトよりも強いです。11戦11勝の無敗馬で、全レースがワンサイドゲームだったようです。牝馬とか牡馬とか、性別という枠を超えて最強馬です。

 そして僕みたいな若造がなぜクリフジの情報を知っているかというと、『優駿』(JRAの広報誌)やグリーンチャンネルの競馬番組で盛んに取り上げられていたからです。セントライト以上に異常な存在だったことは間違いないです。Wikipediaには「年配の競馬ファンも史上最強馬として挙げる~」みたいなことが書いてありますけど、そういった世代の大半はもうお墓の中に眠っています。

 牝馬日本ダービーを勝った馬は3頭しかいません。ヒサトモとクリフジとウオッカです。何より強調してもしきれないのは、クリフジとウオッカで64年も時間があいていることです。このこともまた、クリフジを異常な存在たらしめています。

 実は、日本中央競馬会発足前の競走馬で、もう一頭「激強」と呼べる馬がいます。それが次に述べるトキノミノルです。

 

トキノミノル

「幻の馬」という異名を持つことが唯一許される伝説の名馬です。馬主は、大映の社長だった永田雅一。ちなみに当初トキノミノルは「パーフェクト」という別馬名で登録されていました。その後改名されるんですが--当時はそういう縛りが緩かったのでしょうね--本当にパーフェクトな競走成績(10戦10勝)だったからすごいものです。

 皐月賞日本ダービーを制した二冠馬……だったのですが、日本ダービーを勝った17日後に、破傷風で急死してしまったのです。「幻の馬」といわれるゆえんは、そこにあります。何しろ大映が『幻の馬』(1955年)という映画まで作っちゃうんですから。中央競馬の土台と競馬人気の下地はトキノミノルが作ったと言っても過言ではありません。

 

ハクチカラ

 今や当たり前になった海外遠征のパイオニア的な馬です。そこが顕彰馬に選ばれた決定的理由なのですが、ダービーも天皇賞有馬記念も勝っていることが、見過ごされている気がします。ちなみにJRA公式サイトのキャッチコピーは「栗毛の国際派」であります。

 

シンザン

 戦後初の三冠馬であり、なおかつ「五冠馬」です。五冠とは、クラシック三冠プラス天皇賞有馬記念であります。いろいろな逸話があるので、各自で調べてみてください。「シンザンを超えろ」が、NCK(日本中央競馬会の旧略称)時代の合言葉でした。戦歴やレース映像を見ると、「馬が競馬を知っている」としか思えません。それくらいデカい存在です。ムチャクチャ長生きした馬で、その死は大きなニュースになりました。

 

ハイセイコー

 日本競馬史上最初のアイドルホースです。競馬に関心がない人でも知っている馬といえば、ハイセイコーオグリキャップでした。二頭とも地方競馬から中央競馬に殴り込みをかけた馬です。

 オグリキャップは、時代が近いので、存在感は薄らいでいませんが、ハイセイコーのほうは残念ながらかなり存在感が薄れています。ディープインパクトは、僕はディープインパクトのことが大好きなのですが、正直「作られた人気」という側面が強かったことを否定できません。

 ハイセイコー日本ダービーで倒したのがタケホープという馬で、この馬も相当な名馬です。ハイセイコーはぶっちゃけ人気先行です。タケホープタニノチカラのほうが強かったんでしょう。浅田次郎さんも、「どう考えてもタケホープのほうがハイセイコーより強かった」と言ってるくらいですから。

 でも、ハイセイコー自身はダービーを勝てませんでしたが、カツラノハイセイコというハイセイコーの子どもが、6年後の日本ダービーで優勝し、父の雪辱を果たしました。競馬が『ブラッド・スポーツ』たるゆえんであり、競馬のロマンの真髄であります。

 

トウショウボーイ

 いわゆる「TTG」のうちの一頭です。いまは「TTG」という略称だけ覚えてくださればけっこうです。テスコボーイという種牡馬の子どもで、一世代上のテスコガビーという名牝とともに、日本のスピード競馬の下地を作りました。

皐月賞は最も速い馬が勝つ」という格言に見事に当てはまる皐月賞馬でした。ダービーはクライムカイザーというヒットマン(「伏兵」と言うには人気しすぎなような……4番人気だったし)に不覚を取り、スピードが勝ちすぎて長距離の菊花賞も敗れてしまいます。しかし、4歳(現3歳)で暮れの有馬記念を勝つことができました。

 TTGのうちの一頭であるテンポイントとのライバル関係に関しては、いろいろな逸話があってここでは書き切れません。いわゆる当時別格の「八大競走」は2勝しかしていません。顕彰馬に選出された決定打は、種牡馬としての驚くべき活躍によるものでしょう。「驚くべき活躍」とは何かって? それは次の機会に述べることにしましょう。

 

(つづく)