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願いがいつか叶うまで

ひとりじゃない

ノイタミナから遠く離れて~CX系アニメ考~ 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』

「いっそ、作品の評価すらも中止してみないか」ここ一週間、こんな過激な考え方が、頭のなかを離れないのである。

 

「監督や声優のことを一切忘れてアニメを観てみたい」こういうツイートを、最近した。これは不可能だ。これまであれだけ監督や声優についての”表層的な知識”を蓄えておいて、いまさら監督や声優のことを一切脳内から消しされるわけがない。

 

 では、知識を蓄えたうえで、知識を用いずにアニメを観ようとしたら?

 

 

 

 

 

ようやく本題に入る。

こちら葛飾区亀有公園前派出所』である。1996年から2004年まで、フジテレビ系列で放映された。

 原作は、「週刊少年ジャンプ」連載の秋本治の漫画。放映開始時点で、原作の単行本は100巻に迫ろうとしていた。

 主人公の両津勘吉を演じたのはラサール石井だった。麗子役が森尾由美、寺井役が林家こぶ平(当時)というふうに、声優に本職をあてがわず、芸能人をあてがうという果敢な試みがなされていた。

 監督は、当初やすみ哲夫だったが、1クールで早々に降板し、三沢伸に代わった。三沢も途中降板し、三代目の監督に就任したのは、それまでサンライズで主にロボットアニメの演出を担当していた、高松信司だった。

「アニメ版こち亀高松信司」というイメージが強いが、放送終了直前(2004年)にその高松も監督を降り、後を高本宣弘が最終話まで引き受ける形となった。

 

さて、僕は、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の声優や監督について、かくも雄弁に書いているではないか。

だとしたら、やはり、声優や監督について考えることなしに、アニメを観るなど不可能ではないのか。

たしかに、『こち亀』の本編映像に限らず、アニメを観るときは、表層的な知識が、想念と化し、意識のじゃまをする。襲ってくる想念を振り払うことは無理だ。

「いっそ、作品の評価を中止してみないか」いや、作品どころか、スタッフ・キャストについて判断を中止することすら不可能である。

 

それでも……僕は、一度でいいから、『作者』や『作品』を亡き者として、アニメを観てみたい。

 

「だとしたら、なぜお前は、『フジテレビ系アニメ』というカテゴリーをわざわざ設けて、作品の話をしようとしているのだい。言ってることとやってることが、まるで違うではないか」

「そうだ。僕は矛盾している。矛盾しているからこそ観るのだ、読むのだ、書くのだ」

「言っている意味がわからない。お前の心は壊れている」

「そうだ、僕の精神は故障をきたしている。

 例えば僕が、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』というアニメ『作品』について語ることができるとしたらーーこう言おう。

こちら葛飾区亀有公園前派出所』という作品そのものを分析するのではなく、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が放送されていた8年間の経験を語ろう。とくに日曜日のことを語ろう」