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願いがいつか叶うまで

ひとりじゃない

電撃文庫原作TVアニメを勝手気ままに振り返る 第3回『ブギーポップは笑わない』(前編)

第3回目はブギーポップは笑わないです。

 

 アニメの話題に触れる前に、原作小説の話をしようと思います。

 

わたしが通っていた中学校の図書室は狭く、置いてある本も多くありませんでした。

その数少ない蔵書の中に、『ブギーポップ』シリーズがありました。

当時は、「ライトノベル」という言葉はありませんでした。強いていうならば、「ヤングアダルト」という分野に、この小説シリーズは属していました。

つまり、中学生向けの小説ということです。『ブギーポップ』シリーズは、図書室に置いてある本の中で数少ない中学生向けの小説でした。

ヤングアダルト」という分野ならば、森絵都の『カラフル』や風野潮の『ビート・キッズ』等もありました。狭義の「ヤングアダルト」はこういった作品のことを指すのでしょう。

そうならば、『ブギーポップ』シリーズは、広義の「ヤングアダルト」作品ということになります。少なくとも当時--15年前ーーはそうでした。

厳密な意味での「ヤングアダルト」作品と『ブギーポップ』シリーズの違いはなんだったのでしょうか。

ここでわたしは、NHKと民放の違いに、厳密な意味での「ヤングアダルト」作品と『ブギーポップ』シリーズの違いをたとえてみようと思います。

【狭義のヤングアダルトNHKに例えられます。正確にはNHK教育でしょうか。NHKは公共放送です。森絵都あさのあつこの作品は公的なヤングアダルト作品なのです。

森絵都の『カラフル』がサンライズ制作で映画化されたり、あさのあつこ『NO.6』がフジテレビでアニメ化されたという事実は、一旦棚上げしておきます。)

中学生からしてみれば、森絵都あさのあつこヤングアダルト作品は、”お上”から押し付けられた本なのです。中学生のわたしが読むというより、中学校の先生が読めというような本だったのです。

そういう意味で、わたしは狭義のヤングアダルト作品を「公的」ととらえます。公共放送であるNHKの発想に似たものを感じるのです。

ブギーポップ(その他電撃文庫富士見ファンタジア文庫角川スニーカー文庫などのレーベルから出ている作品)】民放に例えられます。民放のテレビは商業放送です。民放はコマーシャルで利益を得ますが、わたしは民放局の「商業性」に目を付けたいと思う。『ブギーポップ』のレーベルである電撃文庫は徹底的に商業的です。狭義のヤングアダルト作品にしても、商品として売られることに間違いはありません。ですが電撃文庫の場合売れなきゃ打ち切りです。電撃文庫のようなレーベルは、徹頭徹尾小説を売ることを目指します。そこが商業原理主義の民放と対応します。

電撃文庫の作品でも、公共放送のNHKで製作された作品はありますが、今は棚上げにします。)

ブギーポップ』シリーズのような小説は、中学生のわたしが読みたいと希望するような作品です。

 

わたしが最初に読んだ『ブギーポップ』は、第4作の『ブギーポップ・イン・ザ・ミラー「パンドラ」』でした。

繰り返しますが、「ライトノベル」という言葉は、その当時ありませんでした。

(この項続く)